仕事のスイッチ [ マグロ養殖研究]

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今の仕事を目指したきっかけは?

子どものころからとにかく生き物が好きでした。

カブトムシなどの昆虫から始まって興味が魚へと移り、中学のころには熱帯魚を飼うように。そのころ、偶然 テレビで近畿大学の原田輝雄先生が出演しているのを見たんです。

原田先生とは近畿大学水産研究所の二代目所長として、世界初となるクロマグロの完全養殖の基礎を築かれた人。
そのときは養殖の仕組みや難しいことはわからなかったので、ただ『大学で魚を養殖しているところがあるんだ!』と衝撃でしたね(笑)。

マグロと言えばその大きさ、価格の高さからしても海の王様と呼ばれる魚です。
自分も大学でいろんな魚を育てる研究をしてみたい、自分もマグロを飼ってみたい! ただその想いだけで近畿大学の水産学科に入り、いつかはマグロの研究に就くぞと決意。

そしてその希望通り、今の職業へと就くことができました。

お仕事の内容を教えてください。

今はクロマグロ研究の最前線の現場から生産部門全体を統括するセンター長となりデスクワークが多くなりましたが、マグロの養殖についてのお話をさせていただきますね。

まず、クロマグロを養殖するようになった背景には今から約70年前、第二次世界大戦後に遡ります。
日本全国の漁港では漁獲高が落ち込み、日本は深刻な食料難へと陥りました。そのとき、近畿大学の初代総長が目の前の海を「畑」と捉えて『海を耕せ!』という理念を掲げたのです。

それから様々な魚の養殖を試み、成功へと導いてきましたがクロマグロの養殖を始めたのは1970年。今やクロマグロは、日本人はもちろん、世界中の人たちから好んで食される食材になりました。
その美味しさから高値で取引されているため、近年では乱獲によりその個体数は激減。このまま行くとマグロが食べられなくなってしまいます。

そこで私たちはこれまでの飼育技術研究からクロマグロの完全養殖の技術を確立させたのです。
完全養殖とは人工ふ化した仔魚を親魚まで育て、その親に産卵させます。その卵を人工ふ化させて次の世代を生み出すこと。これによりすべてのプロセスを人工飼育できるので市場への安定供給が可能になりました。

やりがいを感じたり大変だと思うことは?

クロマグロの養殖を開始したのが1970年とお話しましたが、成功したのはいつだと思いますか?
今から17年前の2002年、何と32年もの月日がかかったのです。

それまでマグロの生態はあまり知られていなかったので、最初は養殖にあたり夜が明ける前から夜更けまで、つきっきりで餌を与えたり、観察をする必要がありました。

そしてもう一つ、マグロはとてもデリケートな魚だったのです。
陸上水槽で稚魚 を5〜6cmに育てたら「沖出し」といって海上のいけすに移します。

初めて沖出しできたときには、ここまで来れば安心かと思ったら、翌日には全滅。そのあとも沖出し後に大量死が続きました。
死因は骨折。マグロがいけすの網に衝突していたのです。

その理由を突 きとめるため、徹夜でいけすを見張っていたところ、原因は夜中に通るトラックのヘッドライトだということに気づきました。とは言え、道路を封 鎖することはできません。
そこでいけすを遮光幕で囲ってみたのですが、今度はその遮光幕が風に煽られて明暗が急変しマグロが驚いて死んでしまう。

そんな試行錯誤をくり返し「いっそ夜中ライトで照らしていたらどうか?」という解決策に辿り着き、やっとマグロたちが衝突せずに済むようになったのです。

何日も寝れない日々が続きました。でもつらいと思ったことはありませんね。
苦労もしたし悩みましたが『なんでだろう?何をすればいいのか?』とみんなで考える時間も充実していましたし、その結果が実ってマグロたちが元気に餌を食べに来てくれる姿を見たときは何よりやりがいを感じましたね。

読者へのメッセージをお願いします。

興味があることを見つけて、それを突き詰めてみてほしいです。

マグロの養殖が何年もうまくいかなくても諦めなかったのは『好き』だったから。自分が好きなものには夢中になれると思います。
僕の「マグロを飼いたい」という夢は叶いましたが、目標は次から次へと出てきます。

今は『近大マグロ』が有名になりブランド化されましたが、次は世界で一番美味しいマグロを作りたい。
好きだからこそ夢は尽きませんよ。

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